あの日のことは今でも鮮明に覚えている。
カジノに足を踏み入れた瞬間、全てが変わる予感がしていたからだ。
大学を出てから、夢見たキャリアとは程遠い毎日が続いていた。
私は今、地方の小さな不動産会社で、ほぼ奴隷のように働かされている。
朝から晩まで飛び回って、頼りない給料と引き換えに精神も体力も削られているけど、それでもやめられないのは、背中にのしかかる奨学金の返済があるからだ。
誰もが「いい大学に行けば、いい仕事に就ける」なんて言っていたけど、現実はそんなに甘くない。
結局、地元に戻って安月給でこき使われる羽目になった。
周りの目も冷たく感じるし、家族や友人には「頑張ってるね」としか言われないけど、内心は何もかもが嫌でたまらなかった。
だから、休暇を取って韓国のカジノに行くことに決めたのも、現実逃避がしたかったからだ。
賭け事なんて普段は全く興味がなかったけれど、ネットでカジノのことを調べているうちに、ルーレットの魅力に取り憑かれた。
シンプルだけど、奥が深い。
運と戦略のバランスが絶妙で、私にもチャンスがあるかもしれないと感じたんだ。
現地に着いて、カジノに足を踏み入れた瞬間、体が軽くなった気がした。
煌びやかな照明、チップの音、ざわめく人々の声。
それらが全て、私の日常とはかけ離れた世界に引き込んでくれる。
あの時の私は、賭けることでしか、このどうしようもない現実から逃れることができないと思っていたのかもしれない。
まずは落ち着いてルーレットテーブルに近づいた。
大きな円形のウィールが目の前で回転し、ディーラーがボールを投げ入れる。
心の中では静かに戦略を練り始めた。
ネットで見つけた「ココモ法」と「ダズンベット」の組み合わせで挑むことに決めていた。
ダズンベットは、1から12、13から24、25から36という3つの区間に分けて賭ける方法。
私はまず、真ん中の「13から24」に賭けた。
この区間は勝率が約33%。
リスクがそこまで大きくないのが魅力だ。
そしてココモ法は、負けた時に賭け金を次のラウンドで少しずつ増やしていくシステム。
運が悪くても最終的に一度の勝ちで全て取り戻せるという理論にかけた。
最初の賭け金は少額、ほんの数万ウォンから始めた。
ウィールが回り始め、私の胸の中で不安と期待が交錯する。
周りのプレイヤーたちもそれぞれの手元に集中している。
彼らの視線は冷たく、プロフェッショナルな空気が漂っていた。
だけど、私は自分の戦略を信じていた。
ボールがウィールの上でカラカラと跳ねる音が響く。
その音がまるで時間を止めるかのように私を引き込む。
私の賭けた13から24の範囲にボールが収まれば、勝ち。
小さな勝利でも、それが次の一歩に繋がる。
そして、ボールは14に落ちた。
初戦は勝ち。
心の中で静かにガッツポーズをして、次のステップに移った。
ココモ法では、勝った後は再び賭け金をリセットして、少しずつ増やしていく。
焦らず、慎重に。
次も同じ「13から24」に賭けた。
勝ち続ければ少しずつ資金が増えていく。
それがココモ法の魅力だし、私は冷静さを保つことに集中した。
そして、次も勝った。
心臓の鼓動が少し速くなり、手に汗が滲んでいるのを感じた。
ディーラーが淡々とチップを払い戻してくれるその瞬間が、私の心を満たしていく。
日々の鬱屈した仕事、未来の見えない生活、それら全てがこの瞬間だけは遠ざかっていく気がした。
私はこの場で生きている。
勝負が私を生かしているんだ。
だが、ルーレットはそんなに甘いものではない。
次のラウンドで、私は負けた。
ボールは私が賭けた範囲には落ちなかった。
だけど、ココモ法では負けた時こそが勝負の時。
次の賭け金を増やし、再び「13から24」にチップを置いた。
失うものは何もない。
心の中でそう自分に言い聞かせた。
ウィールが回る音と、周りのざわめきが一瞬静まる。
ボールが再びウィールの上を跳ねる音だけが響く。
その瞬間、周りのすべてが私の背後に消え去り、目の前のボールだけに意識が集中した。
まるで時間が止まったような感覚の中で、私はただ結果を待った。
そして、ボールが17に落ちた瞬間、全てが一気に動き出した。
勝利だった。
その後も、私は冷静に同じ戦略を続けた。
ココモ法の強みは、たとえ負けが続いても一度の勝利で全てを取り戻せること。
そしてその夜、私は何度か負けも経験したものの、全ての敗北を最後には勝利に変えることができた。
気づけば、目の前には最初の資金の10倍にも膨れ上がったチップが積み上がっていた。
周りのプレイヤーたちが私の勝利に気づき始め、ちらちらと視線を送ってくるのがわかった。
だけど、私はそれに気を取られることなく、チップを片手に静かにカジノを後にした。
勝ち逃げ。
これが私のルール。
カジノを出た時の夜風は肌に冷たかったけれど、その冷たさが心地よかった。
ここに来る前の私とはもう違う。
奨学金の返済や不動産会社での退屈な日々が、遠い昔のことのように感じた。
この大金があれば、少なくとも当面の悩みからは解放されるだろう。
だけど、もっと大切なのは、私は自分の力でここまで勝ち取ったという事実だ。
電車に揺られながら、私は次のステップを考えていた。
この勝利をどう活かすか。
もしかしたら、もっと大きな賭けに出るべきかもしれない。
だけど、その夜の私はただ一つのことを感じていた。
ルーレットのように、人生もまた、回り続けるものなんだということ。
勝つ時もあれば、負ける時もある。
だけど、勝つためにはまず、回し続ける勇気が必要なんだ。
そして、私はその勇気を手に入れた。
それだけで、十分だ。